「人を責めない、仕組みを責めて改善する」 3300人の工場長は、町工場へ向かう
幸献コンサルティング株式会社
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不良が出る。原因を探る。だが、追い詰める相手は人ではない。
「お前が悪いんじゃない。仕組みができていなかったんだ。じゃあ、仕組みをどう直そうか」
ベトナムの工場で、重松圭はそれを毎回繰り返した。人を責めれば萎縮するだけだ。仕組みを責めれば、一人の頭の中にあったものが会社のものとして残る。
3300人。彼が工場長として率いた組織の、最後の人数である。
2026年5月5日、重松は幸献コンサルティングを設立した。54歳。オリンパスで32年を過ごした男の、後半戦が始まっている。
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「セブに行ってくれ」
芝浦工業大学で電子工学を学び、1994年、オリンパスの海外生産部門に入った。入社時から思っていたことが二つある。海外でやりたいこと、いつかコンサルタントになりたいことだ。大企業の階段は長い。だが海外は、駐在員と工場長の間の層がほとんどない。自分で経営をやりたいなら、外へ出るしかなかった。
入社4年目、上司に呼ばれ、協力工場を支援する目的でフィリピン・セブ行きを告げられた。マネジメントは日本で一度も経験がない。
工場に着いた初日、数百人のスタッフの視線が26歳の新しいボスに注がれた。後戻りはできなかった。カメラを作るのが初めての工場で、人材育成から始め、2年で3機種を立ち上げた。
16カ月
香港を経て渡った広州では、電子基板部門をゼロから立ち上げ、3年で300人、ライン10本にした。帰国後は製造の戦略を描く製造企画へ。脱中国を見据え、次の拠点はベトナムに決まった。
2007年。デジカメ事業は3000億円規模の絶好調で、役員から「今がチャンスだ、最速で立ち上げなさい」と言われた。土地の契約、製造ライセンス、採用と教育、工場建設、取引先の開拓、就業規則。すべてゼロからだった。
12、13カ月が過ぎた頃、リーマン・ショックが来た。工場はすでに建ち終わっていた。半年遅れて建設中なら、止めろという判断が下っていた。
「あの時ほど、仕事はスピードだと思ったことはないですね」
この工場があったから、10年後に中国工場を閉じ、ベトナムへ集約する選択ができた。
マイナス100億から始まる計画
本社に戻ると、社長の右腕だった。方針打ち合わせにはすべて出て、半期に一度の方針説明会の資料もすべて作る。それが4、5年続いた。
その間に市場が消えていった。1億2000万台あったデジタルカメラの需要は、スマートフォンの登場から3年で6000万台へ。事業計画はマイナス100億円から始まった。2011年には経営陣が入れ替わる事態にも見舞われている。
「現場がしっかりしているので、どんな経営になっても現場はあまり変わらないんです」
医療を止めないため、人は現場を回し続けた。
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空席だらけの組織図
2014年、工場長として再びベトナムへ。着任時1000人だった工場は、中国からの集約で19年に3300人になる。
だが着いた時、組織は組織になっていなかった。組織図と職務分掌を作り直し、人を当てはめると、空席が大量に浮かび上がった。埋めるべき層はおよそ50人。3年で現場管理者に育てる。それが最大の仕事になった。
ベトナム人は素直で真面目だが、問い詰めれば頑なにもなる。だから、人を責めなかった。責めるのは仕組みだ。仕組みを直せば、対策は不良のない状態のまま運用され続ける。
そしてVISIONを語り、現地リーダーにも職場VISIONを描かせた。これによって他人事だった仕事が自分ごとに変わり、リーダーが物凄いスピードで育った。
退職後、半年で80人の経営者を取材
2020年、医療機器の調達へ移った。相手の多くは直接取引の中小企業で、約150社。1社が止まれば、医療が止まる。監査で締め上げるのではなく、経営が傾けば投資の組み立てを一緒に考えた。
退職の1年前、中小企業の支援をさせてほしいと願い出て、部下を持たない部長ポストが特別に作られた。そして、独立した。
「30年サラリーマンをやりました。元気なら70、75までは働ける。あと20年サラリーマンをやる選択肢はないな」
退職後の半年で約80人の経営者に会った。
「私がやってきた工場長の仕事と、中小企業の社長の仕事は、ほぼイコールだったんです」
幸せを献じる
社名の「幸献」は、幸せを献じる、と読む。クライアントの成功、社員の成長、社会への貢献。三方よしを込めた2文字だ。ミッションは「働く誇り」を現場からつくること。
事業の柱は三つ。社長と経営幹部への伴走支援、QCDとVE(価値工学)による現場改善、社員教育である。改善の土台には5S、目標管理、何でも言える職場からなる「現場力強化プログラム」を置き、毎月訪問して2年かけて文化にする。
「社員教育をやっている会社は、人が辞めないんですよ。社長が勉強熱心であれば、社員も動く」

究極の組織作り:「仕組み」 × 「ビジョン」 の融合
最も力を入れるのがビジョンの浸透だ。仕組みだけの会社は整然と回るが、楽しくない。ビジョンだけの会社は仕事が回らない。両輪がそろって初めて理想の職場になる。

経営理念とは違う。ビジョンとは3年後、5年後、10年後にどうありたいかだ。
「3年後、5年後と聞くと、止まってしまう経営者は多いんです」
描けない相手とは壁打ちから始め、言語化できたら生成AIで視覚化する。そして描いたVISIONを計画に落し込みそれを実現して行く。原体験はオリンパスにある。3年後の姿をみんなで描いた職場は活気があり、言葉が変わった。
「これは自分の仕事だ、自分の会社だ、と言い方が変わってくるんです」
32年かけて集めたものを、これから20年かけて配っていく。
(敬称略)
企業情報
- 企業名
- 幸献コンサルティング株式会社
- HP
- https://kokenconsulting.hp.peraichi.com/



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